どうして人は嬉しいの?

2017年10月。
コーチングアカデミーの長野・諏訪・塩尻校は基礎コース・実践コースの授業を終了しました。まもなく体得コースがスタートします。今年度の諏訪校では、8月の下旬に教室の移転という大きな出来事がありました。今回はその時の印象深い我が家のエピソードをコラムにさせていただきます。

思いがけないサポートに『狂喜乱舞』

移転した新しい教室で、初めて授業を行う日の我が家の出来事です。

  • 夫:今日は前の教室に間違って来る人はいないの?
  • 私:そういう人が出ないように頑張ったつもりだけど…
  • 夫:そうか…、それならいいけど…。
  • 私:・・・もしかして前の教室に居てくれるってこと?
  • 夫:行ってもいいかなぁ…と思って。
  • 私:きゃ~!!!
  • 以降、私の狂喜乱舞がひとしきりつづいたわけで・・・。

    夫は授業が始まる前の18時半からの1時間、引っ越し前の教室の駐車場に車を停めて待機してくれました。幸いにも事前告知を念入りにしたため、間違えてくる人はいませんでした。でも夫のこの行動は無駄ではありません。この心配りが私に狂喜乱舞するほどの大きな幸福感を与えてくれたのです。

    それはなぜか…?というお話の前に、この出来事の背景を説明します。諏訪校は県内で唯一の夜間クラス(毎水曜:19時~22時)。生徒さんの大半は、1日の仕事を終えたあとに、3時間の授業を受けようと集まって下さります。さらに、教室の乗り入れが自由にできるため、かなり遠くから来てくださる生徒さんもいます。例えば、上田・安曇野・松本・伊那、時に長野市からなどです。移動距離にして片道50Kmを超える人もいるわけで。そこまで来てくれる生徒さんに私たち本当に感謝と敬意をいつももっています。

    もしも、生徒さんの誰かが教室の移転を知らずに、前の場所に行ってしまったとしたら…。
    “仕事を終えて駆け付けた生徒さんが、真っ暗な教室の前で呆然と立ちすくむ…”
    (ちなみに前の教室は管理人が夜はいないので周辺も含めかなり暗くなります。)
    想像するだけで胸が締め付けられます。その不安もあって教室移転の告知をさまざまな手段で生徒さんに行ってきました。でもまだ最善ではない。当日、本当に大丈夫だろうか…そんな不安はぬぐえませんでした。

    基本的に諏訪校の授業は、私 土橋桂子と相方のインストラクター鈴木優子さんの二人で担当しています。私たちにとっての最善の方法とは、事前告知+“当日 間違えて来校した人が出た場合に備え、誰かが旧教室の前に待機すること”です。いろいろと検討してみましたが、残念ながら二人では物理的に不可能でした。もちろん夫にこの経緯は伝えていません。そこへ「行ってもいいかなぁ…と思って。」の一言だったので、思わず本当にうれしくて文字通り狂喜乱舞したというしだいです。

    ●狂喜乱舞
    言葉だけ聞いてもとても大きな幸福感があると思いませんか?
    この時の私は間違いなく、信じられないほど大きな幸福感に包まれていました。それはなぜでしょう?

    嬉しいにはワケがある

    「人は大切にしていることを大切にされると、大切にされたと思う。」
    どういうことかというと…。自分が大切にしているものやことを自分以外の誰かから大切にされたとき、人は自分自身をも大切にされたと感じるのです。その逆もしかり。大切にしていることを大切にされない(おろそかにされる)と、自分自身をも大切にされていないと感じてしまうのです。

    こんな状況を見たり聞いたりしませんか?

  • 子どもが大切にしている友人関係を否定する
  • パートナーがハマっているものを馬鹿にする
  • その瞬間、子どもやパートナーは自分自身を否定された・馬鹿にされたと感じ、自分は大切にされていないと感じます。
    今回の場合、私が大切にしている生徒さんと諏訪校を夫が大切にしてくれたので、私自身も夫から大切にされていると感じました。だからこそ大きな幸福感が生まれたというわけです。嬉しいにはワケがあるわけですね。

    とっても当たり前なのですが私たちが忘れがちな事。
    「大切な人を大切にしたいと思ったら、その人が大切にしているものやことを大切にしましょう」
    普通に過ごしてもいても私たちは人に喜んでもらうことはあります。でもそれはたまたまです。たまたまに任せるのではなく、意識して行うことができたとしたら大切な人との関係はいまよりもっと良くなると思いませんか?
    相手が大切にしていること一緒に覗いてみませんか?それこそがコーチングのチカラではないでしょうか。

    この記事を書いたインストラクター

    土橋桂子(インストラクター紹介ページへ)